日本での普及
日本では和泉要助、高山幸助、鈴木徳次郎が発明者だと信じられている。 彼らは東京で見た馬車から人力車を発想し、1868年に人力車を発明した。 1870年、東京府は彼らに人力車の製造と販売の許可を与えた。条件として人力車は華美にしないこと、事故を起こした場合には処罰する旨があった。この許可をもって「人力車総行司」と称した。人力車を新たに購入する場合にはこの3名の何れかから許可をもらうこととなったが、後述のとおり数年で有名無実となってしまう。同年、人力車の運転免許証の発行が開始されている。
その後1872年までにそれまで東京市内にあった1万の籠は姿を消したかわり、人力車は4万台まで増加し、日本の代表的な公共輸送機関になった。1876年には東京府内で2万5038台と記録されている(明治9年東京府管内統計表)。19世紀末の日本には20万台を越す人力車があったという。
(Powerhouse Museum, 2005; The Jinrikisha story,
1996、ほかいくつかのウェブサイトより)
また、1870年代半ばより中国を中心として東南アジアやインドに至るアジア各地への輸出が始まり、特に東京銀座に秋葉商店を構えた秋葉大助はほろや泥除けのある現在見るような人力車を考案し、性能を高め贅を凝らした装飾的な人力車を制作し、その多くを輸出して大きな富を得た。他方、当初人力車の製造と使用を許可された和泉たちは激増する車夫たちすべてから使用料を取ることができず、また当時の特許制度(「専売略規則」)の不備・使いにくさもあいまってほとんど利益を上げることができなかった。この事実が、後に日本に本格的な特許制度の誕生をうながした。